私の人生が狂い始めたのは、ほんの些細なきっかけからでした。かつては人を招くのが大好きで、週末には友人と手料理を楽しむような、ごく普通の生活を送っていたはずの私が、なぜ足の踏み場もないゴミ屋敷の住人になってしまったのか、今振り返っても戦慄を覚えずにはいられません。始まりは、仕事の激務による慢性的な疲労でした。深夜に帰宅し、コンビニで買った弁当を食べ終えた後、容器を洗って捨てるという当たり前の動作が、ある日を境にエベレストを登るほどの重労働に感じられるようになったのです。最初はキッチンの隅に置かれた一つ二つの袋でした。それが一週間後には床の一角を占領し、一ヶ月後には廊下へと溢れ出し、半年が経過する頃には私の膝の高さまで不用品が積み上がっていました。汚部屋という言葉では生ぬるい、それは紛れもないゴミ屋敷への転落でした。部屋が埋まっていくにつれて、私の心も同時に麻痺していきました。積み上がったゴミの山を飛び石のように踏んで移動することが日常となり、カビの臭いや異臭に対しても鼻が慣れてしまったのです。最も恐ろしかったのは、羞恥心というブレーキが壊れてしまったことでした。郵便受けから溢れ出すチラシを部屋の中に引き込み、そのままゴミの山に積み上げる。宅急便が届いても居留守を使い、ベランダの窓を開けることすらできなくなりました。外界との接触を断てば断つほど、部屋の中の無秩序は加速していき、私は自分の部屋という名の檻に閉じ込められた囚人となりました。ある夏の夜、ゴミの山の中からカサカサという不気味な音が聞こえ、数えきれないほどの害虫が這い出してきたのを見た時、私はようやく自分が置かれている異常な状況に気づき、恐怖で叫び声を上げました。しかし、そこから自力で脱出する気力は残っていませんでした。結局、実家の両親が連絡の取れない私を心配して訪ねてきたことで事態は急展開を迎えました。玄関のドアがゴミの圧力で開かないという異変に気づいた父が、無理やり扉を押し開けた時に見たのは、かつての娘の面影を微塵も感じさせない、ゴミに埋もれた廃人のような私の姿でした。専門の清掃業者が入り、数日かけてトラック数台分の不用品が運び出されていく様子を、私はただ呆然と眺めていました。床が、壁が、窓が現れるたびに、私は自分がどれほど不衛生で過酷な環境に身を置いていたかを痛感し、涙が止まりませんでした。汚部屋からゴミ屋敷への道は、坂道を転げ落ちるように一瞬です。自分を大切にすることを忘れた瞬間に、環境は牙を剥きます。今、私は清潔な部屋でこの文章を書いていますが、あの暗い日々を二度と繰り返さないよう、毎日一つのゴミを捨てるたびに自分に言い聞かせています。