「どうして、こんなになるまで放っておいたの?」と問いかけた私の声は、震えていました。ゴミ屋敷と化した実家の真ん中で、小さくなった母親は黙って下を向いていました。私は、なぜ母がこれほどまでに物を溜め込み、不衛生な環境で過ごすようになったのか、その真相を知るために、あえて片付けの手を止め、母の言葉を待つことにしました。数時間の沈黙の後、母がぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めました。それは、私たちが想像していた「だらしなさ」とは全く別の、深い悲しみの物語でした。父が亡くなった後、この大きな家の中で、母は毎日「自分の役割」が失われていく恐怖と戦っていたといいます。誰のために料理を作るのか、誰のために部屋を整えるのか。答えが見つからないまま、母は空虚な時間を埋めるために、テレビショッピングで次々と不要な物を買い込み、届いた段ボールを開けることさえも重労働に感じていったのです。母にとって、積み上がった物は「いつか誰かが訪ねてきた時に見せるための準備」であり、捨ててしまうことは、家族との繋がりを完全に断ち切ることを意味していました。私たちは母の孤独を、金銭的な援助や時折の電話で解決できていると思い込んでいましたが、母が本当に求めていたのは、ゴミに囲まれないと安心できないほどの心の欠落を埋めてくれる、血の通った交流だったのです。このインタビューを通じて明らかになったのは、ゴミ屋敷の主となる母親たちの多くが、かつては完璧な主婦であり、完璧な母親であろうと努力してきた反動で、糸が切れたように動けなくなってしまうという現実です。母は泣きながら、「汚いのは分かっていたけれど、どうやって助けを呼べばいいか分からなかった」と吐露しました。ゴミ屋敷の解消は、単なる不用品の処分ではなく、親子の断絶した時間を修復する作業でもありました。真相を知った私は、母の手を握り、一緒に一歩ずつ進むことを約束しました。部屋が綺麗になるにつれて、母の声に張りが戻り、かつての聡明な母がゴミの下から現れるのを見た時、私は自分の無知を恥じると同時に、今からでも間に合うという希望を抱きました。ゴミの山は、母が必死に生きてきた証であり、私たちが向き合うべき宿題だったのです。